私が漫画『巨人の星』を読んだのは、中学1年生のときだった。
愛蔵版が出ていたのを買って読んだのだ。
それからこのストーリーにのめり込み、むさぼり読んだ。
テレビアニメで見たのとは違う世界があった。
当時の自分の考え方、人生観に大きな影響を及ぼしたと思う。
そんな中でも気に入っている話がひとつある。
星一徹は元プロ野球選手であることを買われて、
息子・飛雄馬のいる星雲高校野球部の監督になる。
野球部にはもともと天野先生というのが監督としている。
天野先生は監督を退き、部長に収まった。
飛雄馬の活躍もあり、星雲高校野球部は甲子園の切符を手にする。
その瞬間、一徹は、体調不良を理由に監督を辞任する。
それを決めた翌日、何事もなかったように工事現場への仕事に
出ていく父・一徹。
飛雄馬は朝日を受けて歩く一徹を追いかけ、言う。
「とうちゃん、ダメじゃないか、寝ていなきゃ」
「なに、体はなんともありゃせん」
「じゃあ、なんで野球部の監督を辞めたのさ」
そこで一徹が言う。
「甲子園でチームが勝ち進めば、わしだけがもてはやされ、
長い間苦労してきた天野先生が浮かばれないだろう。
わしは長く地味な努力を重んじる」
この漫画が発表されのは、1960年代後半から70年代にかけて。
時は高度経済成長時代で、効率的であることがもてはやされ、
古き良き日本人の姿が失われつつあった。
そのアンチテーゼとして登場したのが、一徹親父ではなかった。
翻っていまの日本はというと、一徹親父のアンチテーゼが
いまだに成立する。
長く地味な努力を評価する風潮なんかないもんね。
でもここらで、もう一回、結果じゃなくて、過程を重視する
ことが求められているんじゃないかと思う。
請求に結果を求められる時代だけど、
過程を重視する自分でいたいね。