西には死者の国がある

自然と常に寄り添って生きてきた日本人は、
自然のものすべては生き方にかかわってきていた。
月は夜を支配するもので、忌み嫌う対象だった。
直接、月を見ることはけがれを負うことだった。
太陽は昼を司るから、生の象徴だった。
これは太陽光によって植物が成長し、そのおかげで
最終的に動物が生きられるという生態系を反映したものだった。
だから、日が沈む西の方角は黄泉の国だった。
つまり、人は死ぬと西のほうへ旅立つと考えられていた。
忠臣蔵の一説に「西の大名に召し抱えられ」と、討ち入りに
向かう赤穂浪士の一人が妻に離縁を言い渡す場面がある。
これは「西」に行くというのは、黄泉の国、つまり決死の覚悟で
大事な戦いに出向くということの隠喩なのである。
西の方角は黄泉の国という考え方は、
古代の都市設計や建築設計にも影響を及ぼしている。
こういうことが伝承されていないのはいかにももったいない。
昔の人の生き方がいかに自然の摂理を前提にしたものだったか、
現代人の私たちはもっと学ぶ必要がある。