パラリンピックとの縁

7日からパラリンピックが始まりますね。
私が今までに生で見た大きなスポーツイベントは、
長野パラリンピックだけです。
当時、大学4年生でしたか。
友人を誘って、あずさに乗って日帰りで行ってきた思い出がある。
そのとき、スキーの回転競技を見た。
スキーのスラロームは、パラリンピックの場合、
完走する率が低いようで、このときはかなりの選手は何度も倒れながら、
やっとの思いでゴールに到達していた人が多くいた。
私の目には涙が浮かんだ。
それは障害者がこんなにもがんばっていて感動した、
などという涙では到底なかった。
「なぜ、こうまでして彼らは滑る必要があるんだ?」という思いが強くて、
何か悲しくなってしまったのだった。
観客たちの声が聞こえてきた。
「すごいね、普通の選手と変わらないね。感動した」
それにはまったく共感できなかった。
これから社会人になるというときに、感動したくて、勇気をもらいたくて
出かけたはずなのに、それはまったく達成されなかった。
純粋にスポーツを楽しむなら、オリンピックのほうがレベルが高くおもしろい。
どういう目でパラリンピックを見たらいいかわからなかった。
「考える必要はない。感じたままでいいのだ」というのなら、
はっきり「つまらなかった」というしかない。
あれから、いくつものパラリンピックが行われたが、
関心は高まらないし、ほとんどテレビでも観戦することはない。
たぶん、私と障害者スポーツの間に、縁がまだないからだろう。
縁ができればよし、縁なきはそれもまたよし、だ。