先日紹介した行動経済学では、ものを買うさいにどれくらいの
選択肢の中から選ぶと満足度が高いかという実験が行われた。
6種類の高級チョコレートから選ぶのと、
30種類の高級チョコレートから選ぶのでは
どちらが満足度が高いか。
双方のグループで実際に選んで食べ、10段階で評価してもらった。
6種類のグループでは平均は6.25で、
30種類のグループでは平均5.5であったという。
なぜそうなるかについて研究者は、自分で把握するのに可能な範囲から
選ぶのが望ましいのであり、それ以上の数の選択肢があると、
「もっとよい選択があったのではないか」と考えてしまい、
満足度が低くなるのではないか、としている。
それをやっているのが生活用品を売っているニトリだという話もある。
ニトリでは枕なら枕、イスならイスで各5、6種類に絞られている。
15種類も20種類もあると、全部検討しきれないが、
逆に2、3個だと「選ばされた」ように感じてしまうのだという。
この話を聞いて、別の評論家が言っていたことを思い出した。
今のストレス社会は「選択肢が多いことが一因」だというのである。
昔は職業も婚姻相手も自由に選べなかったか、もしくは限定された選択肢
しかなかったが、いまはほとんど自由にできる。
そうすると、「もっといい仕事があるのではないか」
「もっといい結婚相手がいるのではないか」と考えてしまい、
満足度が低くなり、いつも何かに不満をもち、幸せ感が低いのだという。
「自由に選べる」ことは必ずしも満足を生まないということか。
いや、問題はそこにあるのではなく、すべてにおいて「完璧な選択」が
できると思っている自分自身の傲慢にあるのかもしれない。
いつも思うのは、何を買うにしろ、どんな人生を選ぶにしろ、
決断したことについてあとからあれこれ悩むのではなく、
決断した選択が正解であったと思うように日々を過ごすことのほうが、
人生に対する満足感が高いのではないかということである。