甲子園に熱狂する理由

駒大苫小牧早稲田実業の甲子園での決勝。
170球を投げて、147キロが出せるとは
早実のエースにはもう唖然とするしかなかった。
5月の八ヶ岳でパターゴルフをやっただけで
軽い熱中症になった私にしてみれば、
彼のことを同じ人間とは思えず、
15年間も野球をやったのは
何だったのかと神様を呪ってさえしてしまう。
20日の視聴率は37%と驚異的だった。
さて、何ゆえにこれほどまでに高校野球が注目されるのだろう。
私もプロ野球より高校野球のほうが面白いと思える。
技術的にはもちろんプロ野球のほうが断然上なのだが、
個々のレベルを見ると、この試合の両エースのように
すでにプロレベルにある選手もいる。
けれど最も差があるのは、一つの試合にかける思い入れの差だ。
言うまでもなく、夏の高校野球は負ければ終わり。
3年生は引退する。最後は普段よりももっとがんばろうと
するのが人間というものだ。
そういうギリギリの環境で醸し出される
「一生懸命」
高校野球の人気の理由だ。
しかし、見ているとどうしてもなんかこう切ない思いがしてくる。
自分のあのころを思い出すからだろうか。
私なんかは、大学時代は高校野球をみるのは嫌だった。
自分のあのころを思い出すからだ。
はっきり言って自分の高校野球にはあまりいい思い出はなかった。
ところが、23歳のころからまた見始めた。
松坂大輔投手が出てきたからだ。
それからはまたよく見るようになった。
自分も十分年を取り、過去のこともいい思い出としてみられる
ようになったからだと思う。
見る人は高校野球に何を見るのだろう。
たぶん、一生懸命であることのすばらしさと
17、18歳のころを思い出すからだ。
「どうしてあのときもっと一生懸命であろうとしなかったのか」
という悔恨は誰にでもある。
それがスポーツでも、受験でも、恋愛でも同じことだ。
高校球児を見て「なぜ自分は彼らのようにできなかったのか」と
思うから切なくなるのだ。自らをオーバーラップさせているのだ。
私の高校時代の野球部のエースが最近言っていた。
「今考えたらもっとできたはずって思うんだよな……」と。
私はこう応えた。
「じゃあ、もっとできたはずってあとで思わないように
今がんばらないとな」と。
一生懸命やることだ。それが「最後」でなくても
あとで「もっとできた」と思わないように。