フリーの演技では4回転半に挑戦して、
回転していたことは認められたということだった。
「4回転半を跳んだ」という事実は残った。
挑戦しようという態度を最後まで持ったのは立派だった。
成功させて大逆転を狙っての挑戦だったのだろう。
挑戦といっても2種類ある。
勝負の上で何か成果を求めての挑戦と、
自分の逃げ道としての挑戦だ。
後者の場合、挑戦したことで自分も納得する。
負けてもチャレンジしたじゃないかと思える。
挑戦することで保険をかけてるわけだ。
それは本当のチャレンジではなく、単なるやぶれかぶれ。
羽生選手の場合は間違いなく前者だった。
見てくれだけでなく、こういう本当のカッコよさを
子どもたちには感じてほしい。
彼は「報われない努力」といったが、今はそうでなくても
あとになって報われる努力もある。
近視眼的に見たら不成功だったが、ロングショットで見れば、
結果を求めた上での挑戦は報われる。
報われたと自分でその出来事をとらえ直すことができる。