以前、教育困難校の高校を立て直した話をテレビで見て、
その内容を本にしようとその学校の校長と電話で話したことがあった。
その校長先生がこんなことをいうのだ。
「テレビではA君が自分の道を見つけて、いま夢に向かって
頑張っているという、きれいな話になっていましたが、
彼は卒業時にフリーターを選んでいるんです。
学校としての教えがうまくいったわけではない」
そんな内容だったと思う。
この学校ではそんなところまで考えてくれるのかと
本当に感服する思いだった。
と同時に、高校はそこまで生徒の人生に責任を
もつべきだろうかとも思った。
「この教育でよかったんだ」という判断は極めて難しい。
いうまでもなく、いい学校やいい会社に入れることが
成功とはならないからだ。
人生を判断するにはどこかの時点で、時間軸を輪切りにして
その断面を見てみないといけない。
高校卒業という断面を見れば、いい大学、いい会社に入れるのが
成功に違いないだろう。
しかし、その後も人生は続いていく。
結局、成功かどうかは死んだときにしかわからない。
いや、成功かどうかさえ本人にしかわらかない。
だから、教育機関はどこかの瞬間を割り切って判断するしかない。
それ以上のことは、また別の価値観で判断されるのだ。
学校はそこまで責任を負う必要はない(気にする必要はあろうが)。
大学進学率や就職内定率を高める目標でいいのだと思う。
そこから先は社会の課題だ。
A君の場合、覚悟を持ってフリーターになったのかどうかだ。
単に勉強から逃げてフリーターになったのならダメだが、
自己実現のために覚悟を決めてフリーターになったのならOK。
覚悟が決まっていれば、夢破れて別の道に進んだとしても
その経験は決して無駄にならないからだ。