もう誰かに従属して生きていける世の中ではない。
自分の「個」を持ち、自分の頭で考え、自分で決めて行動する
ようにならないといけない。
それは今までやったことのなかった人が目を開いてやりはじめると
最初はめちゃくちゃ苦労する。
めんどくさいし、労力がいる。
一個一個のことについて情報を得て、
自分の頭で考えないといけないからだ。
ところが、これが癖になっている人は、なんのことはない作業で
自然と苦労もなくできる。
走ることのない人がいきなり走ると苦しいのと一緒。
だが、毎日走っていれば、どんどん走れるようになる。
自分の頭で考えて自分で決めて行動することができるようになれば、
「自分は自分」と考えることができ、ゆるがなくなる。
当然、同調圧力を感じることもない。
「同調圧力を感じてしまう自分を見直せ」
というのは厳しい言い方に聞こえるかもしれない。
読者に厳しい話は売れないからというので、メディアでは
「読んでるあんたが悪い」とは言えない。
だから、「社会が悪い」という話になりがち。
もちろん、「社会が悪い」もあるんですよ。
でも、社会の責任が100%ってことはないでしょって
いうのが、私が言いたいことなのだ。
「自己責任」と「弱者救済」っていうのは、
どっちかを取るべきって話じゃない。
自己責任を前提として、そこからこぼれる人たちにも目を向けて
いこうっていう、段階の話だ。
最初はしんどいかもしれないが、自分をつくっていく。
それしか、この社会から自由になる方法はないかもしれない。