「同調圧力」は本当にあるか?③ 

やがて交通機関が発達してくると、村とその外の世界との間で

人の往来が激しくなり、「村の掟」では秩序が保てなくなった。

そこで登場したのが、欧米から輸入した法律だった。

法律は、国家権力によって、罪を犯したものを捕らえて、

自由を奪うことができることになっている。

こうした制裁があるために、法律の強制力が働く。

他者に制裁を与えられる権限のことを権力という。

だから、国には権力があるし、人事権のある上司や、

退学させられる校長や、出場選手を決められるスポーツの監督も

みんな権力をもっていることになる。

だが、村社会の時代はともかく、現代社会では世間は

権力をもっていない。

かつては村八分ができたが、いまは都市部の地域社会の連帯は

崩壊しているからだ。

仲間外れにされても、インターネットでいくらでも人間関係をつくれる。

世間に権力はないのだから、強制力も持たない。

にもかかわらず、世間からの圧力を感じるのは、

やはり受け取る側の問題なのだ。

「白眼視される」という圧力を感じるかもしれない。

しかし、これを気にしだすと、全部が圧力に感じるだろう。

圧力を感じない唯一の方法は、「気にしない」ことしかない。

「法律を犯してないなら、堂々と生きる」

本来はこれだけでいいはず。

そうならないのは、端的に言ってしまえば、

「自分をもってない」からだ。

もっといえば、「自分はこうしたい」がないからだ。

こういう人は、過去を悔やんでは悩み、未来を気にして不安がり、

いつも心に何かを抱えて生きることになる。