やがて交通機関が発達してくると、村とその外の世界との間で
人の往来が激しくなり、「村の掟」では秩序が保てなくなった。
そこで登場したのが、欧米から輸入した法律だった。
法律は、国家権力によって、罪を犯したものを捕らえて、
自由を奪うことができることになっている。
こうした制裁があるために、法律の強制力が働く。
他者に制裁を与えられる権限のことを権力という。
だから、国には権力があるし、人事権のある上司や、
退学させられる校長や、出場選手を決められるスポーツの監督も
みんな権力をもっていることになる。
だが、村社会の時代はともかく、現代社会では世間は
権力をもっていない。
かつては村八分ができたが、いまは都市部の地域社会の連帯は
崩壊しているからだ。
仲間外れにされても、インターネットでいくらでも人間関係をつくれる。
世間に権力はないのだから、強制力も持たない。
にもかかわらず、世間からの圧力を感じるのは、
やはり受け取る側の問題なのだ。
「白眼視される」という圧力を感じるかもしれない。
しかし、これを気にしだすと、全部が圧力に感じるだろう。
圧力を感じない唯一の方法は、「気にしない」ことしかない。
「法律を犯してないなら、堂々と生きる」
本来はこれだけでいいはず。
そうならないのは、端的に言ってしまえば、
「自分をもってない」からだ。
もっといえば、「自分はこうしたい」がないからだ。
こういう人は、過去を悔やんでは悩み、未来を気にして不安がり、
いつも心に何かを抱えて生きることになる。