周囲からの同調圧力を感じてしまうのは、
日本では長らく「個」を持つことがよしとされなかった背景がある。
それはすでに述べたように、突出することが許されない村社会の掟が
あったからだ。
これまで国民は主権を持ったことがなかった。
貴族であれ、武家であれ、天皇であれ、為政者はいろいろ替わったが、
国民はずっと被支配者だった。
それが急に主権なんてことになったから、どうしていいかわからない。
建前上は国民主権であって、政治は国民の代表者が行うことになっている
のだが、実際は、国民は主権を行使しているなんて思ってなんかいない。
偉そうで頭の良さそうな人に政治を任せればいいと思っている。
つまり、主権になっても自ら権利を行使していると思ってない。
だから政治家を過度に批判する。
批判は大事だけれど、どこかで
「こんなお粗末な政治家を選んだのも自分だしな」
という感覚を持っていないといけない。
そういう感覚があるからこそ、政治家を真剣に選ぼうとするものだ。
偉そうで頭の良さそうな政治家に従属してしまっている。
その意味で、やっぱり国民は被支配者なわけだ。
そして、日本人はこうやって支配されることが
心地よいと感じる国民でもある。
そのほうが難しいことを考えるよりラクだと思っているのだ。
実はそこに息苦しさがあることに気づいていない。