生きていればなんでもできる

今月25日は妻の40回目の誕生日だった。
瀕死の重傷を負った交通事故で入院していた病院で、
「生きていてよかった」と思えて泣けてきた瞬間があるという。
それは、子どもに会えたときでもなければ、
私に会えたときでもなく、病院の窓から行き交う人を見たとき
だったという。
病院の中にいるときは、病院関係者以外の人にとっては非日常である。
実は自分は本当は死んでいて、夢でも見ているんではなかろうか
という気持ちが頭のどっかで働いている。
でも、窓から日常を過ごす人々を見てはじめて、
自分は生きていて、世の中が回っていることを知る。
生の実感というのはそういうものなのかもしれない。
その彼女自身の口から
自分が「ちょっと変わった」という言葉を聞いた。
主に2つのことを思ったという。それは、
「もっと子どもにやさしい母親でありたい」と
「もっとやりたいことをやろう」だった。
まだ40歳。
これからなんでもできる。
生きているのだから。