W杯出場で、別のことを考える

サッカーワールドカップの本戦い出場をかけた最終予選。
勝つか引き分けで出場が決まるとあって、私もテレビに
かじりつきました。
結果は1−1の引き分けで、めでたく出場決定。
PKの瞬間は思わず拍手が大きくなってしまい、
家人からうるさいと注意を受けてしまいました。
内容はよくなかったですけどね。
攻撃が単調で、手詰まりな感じを受けました。
もっと緩急をつけるとか、練習した形式だけじゃなく、
その場のアドリブで発想されたプレーがみたかったな。
そんなことは他のブログが書くからやめとこう。


一連の出来事で気になったのは、渋谷交差点でのどんちゃん騒ぎ。
バカな若者と、マスコミと、警察の三つ巴の件だ。
ああいう若者を見て、バカだなと一笑に付すのはのはいつものこと
だったんだけど、あとで静かに考えてみたんだよね。
なんで彼らはああいうのがしたいのかなって。
頭の中はどっかの町の成人式とか暴走族とかと同じなのかなって。
要は「見て!見て!」ってことなのかなと。
「相手にして!」って言っている若者たちの声なき声を感じた。
子どもが「かまって!」のサインとしてやるイタズラと同レベル。
みんなさびしいのだよね。だから連帯したいのですよ。
日本代表になら、誰でも感情移入できる。誰とだって連帯できる。
あの子たちは、そういうのに飢えているんだと思う。
それって、たぶんSNSばっかりやっていることの裏返し。
リアルな生きてる実感がほしいのだよね。
同じものを実際に自分の目で見て、笑い合って、
一緒にたのしんだり、悔しがったりしたいのだよね。
とてもわかる気がする。
彼らが身をもって実感する出来事が他に何かないかなと思う。
あれだけエネルギーがあるんなら、それこそ何かスポーツやれば
いいのにな、なんて思うのはオッサンになった証拠か。