本当に「本人のため」になること

ひょんなことから昔のことを思い出した。
昔話だけど、今の世の中にもつながることだから書いておこう。
時はいまから18年前の春の日のこと。
高校3年生になったばかりの私は、女の子にわき目もふらず、
(女の子のほうもわき目をふってくれなかった)
部活動の野球と、ちょっとの勉強にいそしんでいた。
そんな時期、野球部内で問題が勃発した。
以前からやっていた同期部員の喫煙が発覚したのだ。
その同期部員をTとしよう。
Tは私たちの再三の注意も聞かず、相変わらず喫煙を続け、
ついには先生たちの知るところとなったのだ。
問題が外に漏れたら、最後の夏の大会を辞退することになる。
まず、Tを含む私たち同期部員は監督の部屋に呼ばれた。
「なんでお前らはTに注意しなかったんだ。お前ら仲間だろ!」
聞いた瞬間、誰もが「俺たちは注意した!」と思った。
しばらく沈黙が流れた。
その沈黙は、みんなはTの口から「みんなは注意してくれた」と
いう言葉を聞きたかったからに違いない。
だが、ついぞTの口からはその言葉が出なかった。
そのあと、今度は野球部の部長から今後について話があった。
高野連は部員の喫煙・飲酒について断固とした
姿勢を取ることで知られている。
3年生17人を集めて部長先生は言った。
「2つの選択肢がある。ひとつは、Tを退部させ、県の高野連
報告する。部内で処分が終わっていることを報告すれば、
夏の大会には出場できるだろう。
もうひとつは、Tを退部させずに、高野連にも報告しない。
そのかわり高野連にこのことが発覚すれば、夏の大会に出場できなく
なる可能性がある。
お前たちはどうしたい?」
私たちは後者を選択した。
自分から仲間を切って捨てるということを言い出す奴はいなかった。
だが、私は、厳しいようだが、Tには自ら辞めてもらいたかった。
のど元まで出かかったが、結局、その言葉は呑み込んだ。
「俺たちを守ってくれなかったTを、
なぜ俺たちが守らなくちゃいけない?」
そういう思いだった。
たぶん、部長先生も私たちが「辞めさせなくてよい」というであろう
ことは予想できたはずだった。
監督や部長先生は、自分たちの見解を示さなかった。
生徒たちの自主性を重んじたといえば、聞こえはいいが、
責任を放棄しただけだった。
私は、見せかけだけの「友情」だとか、実をともなわない「仲間」
みたいなものが、とても、とても嫌だった。
周りの大人がいう「青春」も、とても、とても嫌だった。
ハッキリいえば、高校野球という舞台装置によって醸成される
「友情ごっこ」「青春ごっこ」を本当に嫌悪していた。
Tからはその後も今日のいままでも、謝罪の言葉を聞いたことはない。
仲間や友情を言うなら、まず謝罪の言葉があってのことだろう。
これ以前にも同じようなことがあった。
大事な試合の日に大幅な遅刻をしたチームの主力メンバーを
先発メンバーから外すかどうかで、同期の中で話し合いになった。
私は「外すべき」と主張したが、「そこまでする必要はないんじゃないか」
という意見が大勢を占めたので、彼は先発出場した。
だが、「辞めろ」というのは、ついに言い出せなかった。
いま思えば、言っておけばよかったと後悔している。
同期16人に、あのとき私と同じ思いの人がいなかなったか、
いまでも聞いてみたいと思う。
私だけだったのかもしれない。
でも、と思う。
本当に本人のためを思っている処置はどっちなのか。
一度、過ちを犯して逃げおおせた経験のある人は
必ず先の人生でも自分に甘い選択をする。
それが大きな出来事であるほど、舐めた甘い味を忘れない。
そして、もっと大きな場面で過ちを犯す。
Tは辞めるべきだった。
そこでした苦い経験は、必ず先の人生で生きてくる。
夏の大会に出られなくても、それ以上のものを得られたはずだった。
下した処罰は、そのとき本人に理解されなくても、10年後、
20年後にはきっと通じる。
指導者や管理者は、このことについて深く考える必要がある。
喫煙や飲酒する子、練習をさぼる子、遅刻する子の処遇をどうするか。
そこで指導者や管理者が毅然とした態度で処分できるかどうかが大事だ。
「チーム力が落ちる」といって勝負を優先すれば、
本人は味をしめるし、他の選手は腐っていく。
そうならないために「連帯責任」がある。
自分だけがよければいいというのではなく、仲間のことも考えられる
ようになり、そこで本当の「仲間」というものを獲得していく。
それに、勝てばいいというものではないことも学べる。
あれから18年。当時の年齢の倍の時間を生きてきて、
いまようやくあのときのことが何だったのか、どういう意味をもつ
出来事だったのか、わかるような気がするのである。