なぜ「小説」が必要か

映画の感想なんかを読んでいると、
「実際にあった出来事だから余計感動した」ということがよく書いてある。
そういう人の意識には、
「小説なんて所詮つくりごとでしょ」というものがあると思う。
でもね、なぜ人生に小説が必要か、今にしてわかったことがあるんです。


世の中には大きく分けて
自然科学と人文科学(ここでは社会科学も含む)があります。
ものすごく単純に言うと、自然科学は数学や物理など
自然現象を研究対象としたもの。人文科学は人について研究したものです。
この二者が決定的に違うのは、
自然科学は「過去の先人の知識を効率的に学び、その土台の上に自分の
業績を積み上げていける」という点にある。
だから、ニュートンアルキメデスが解くのに苦労した数式でも、
今の数学者は大学生でも解けるのです。
一方の人文科学は「過去の先人の知識を学んだからといって、その土台の
上に積み上げていく」ことはできない。
昔の人より今の人のほうがよい作品を残せるとは限らない。
なぜなら、数値や公式などによって法則性がないため、業績は
「その人が生まれてから死ぬまでの積み上げた結果」でしかないです。
夏目漱石石川啄木が死ぬまでに得た知恵は、みんなが効率的に学べる
ような数値や公式になってはいません。
「どのように感じるか」でしか学べません。
人間が生きていくとき、たとえば自分が投資して資産を形成していくとき、
どこにどれぐらい投資すれば、どれくらいのリターンがあるか
ということは計算すれば見通すことができます。
しかし、その過程で病気になったり、好きな人ができたり、
仕事でやる気がなくなったり、配偶者と別れることになったり、
ケンカして友だちを失ったりします。
そういう不確実性の高いできごとは予想できません。
でもそのときでも立ち止まらず、乗り越えていかなくてはいけません。
そのときの人生の選択に必要なのが、他の人の人生です。
だから小説が必要なのです。
小説の主人公たちは病気になったり、好きな人ができたり、
先に挙げたようなことはすべて経験しています。
そして多くの場合、困難があっても何らかの選択をして
その出来事を乗り越えていきます。
私たちが現実世界を生きるうえで、
そういうことを学べるのが小説なのです。


「他人の人生を知ることで、自分の人生の選択に生かせる」
そういうことなのではないでしょうか。
どんなにしんどいことがあっても、多分過去に同じような経験を
した人がいます。そういう人はどんな選択をして乗り越えたのでしょう。
よくこういうことがありませんか?
困難に直面したとき、
「あの小説の主人公ならどうするかな」と考えてみることが。
それこそが小説の意味なんだと思います。
あるいは難病患者を扱ったドキュメントの本もそうかもしれません。
だからこそ、「所詮つくりごとでしょ」なんていわないで、
小説を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたりするのが
いいのだと思います。
ああ、なんだかとてもすっきりしました。