人が聞こえないものが聞こえる、
人が見えないものが見える。
そういう経験をした人が、こっそり私に教えてくれることがある。
こういう話をすると、ほかの人はまともに聞いてくれないが、
私はきちんと耳を傾けてくれるから、だそうだ。
いまの科学は、立証できない未知のものは、
存在しないものとして、「気のせい」にしてきた。
そうしないと、科学の立場が危うくなってしまうからだ。
でも実際は科学者もそういうものの存在をよくわからないけど、
あるかもしれないと思っている。
科学者は、怪奇現象について昼間は一笑に付すのだが、
夜になると熱心に語ったりする。
昼間にそんな話を熱心にすると、科学者としての沽券にかかわる
と思っているのかもしれない。
とにかく、自分の理解を超えた話をまともに信じるのは、
分別ある大人の態度ではないと思われている。
そうであるのに、小学生が3,4年生になってサンタクロースが
いるかどうかを論じるのと同じ熱心さで、
「厄年がどうのこうの」「おみくじを引いたら大凶でどうのこの」
といってみたりする。
実際、正直な人だけが怪奇現象をまともに話すのだ。
私はこれまで植物の会話が聞こえるとか、
死んだ人が見える人の話を実際に聞いたことがある。
また、死んだ人が自分の体に憑依した人の話を
実際に聞いた人からも詳細を聞いたことがある。
これはそうしたことを経験した人の「気のせい」ではないと
私自身は思っている。
こうした現象の原理をずっと考えてきたが、
あるお寺の住職の話が大変なヒントになったので
次の記事で紹介しよう。