怪奇現象の原因へのヒント 前編

人が聞こえないものが聞こえる、
人が見えないものが見える。
そういう経験をした人が、こっそり私に教えてくれることがある。
こういう話をすると、ほかの人はまともに聞いてくれないが、
私はきちんと耳を傾けてくれるから、だそうだ。
いまの科学は、立証できない未知のものは、
存在しないものとして、「気のせい」にしてきた。
そうしないと、科学の立場が危うくなってしまうからだ。
でも実際は科学者もそういうものの存在をよくわからないけど、
あるかもしれないと思っている。
科学者は、怪奇現象について昼間は一笑に付すのだが、
夜になると熱心に語ったりする。
昼間にそんな話を熱心にすると、科学者としての沽券にかかわる
と思っているのかもしれない。
とにかく、自分の理解を超えた話をまともに信じるのは、
分別ある大人の態度ではないと思われている。
そうであるのに、小学生が3,4年生になってサンタクロースが
いるかどうかを論じるのと同じ熱心さで、
「厄年がどうのこうの」「おみくじを引いたら大凶でどうのこの」
といってみたりする。
実際、正直な人だけが怪奇現象をまともに話すのだ。
私はこれまで植物の会話が聞こえるとか、
死んだ人が見える人の話を実際に聞いたことがある。
また、死んだ人が自分の体に憑依した人の話を
実際に聞いた人からも詳細を聞いたことがある。
これはそうしたことを経験した人の「気のせい」ではないと
私自身は思っている。
こうした現象の原理をずっと考えてきたが、
あるお寺の住職の話が大変なヒントになったので
次の記事で紹介しよう。