「景気回復」なんかいらない

ぼくは今の世の中の経済は一種の蜃気楼のようなものだと思っている。
竜宮城の中での一時のバカ騒ぎのようのものだと思っている。


アメリカは中国や日本に莫大な貿易赤字を抱えている。
その赤字分をどうやって払っているかというと、
中国や日本に国債を買ってもらうことで払っている。
アメリカはお札をたくさん刷って海外からものを買う一方、
その代金は「わが国の国債を持っててね」でまかなっている。
実際、お札や国債を刷るわけではなく、帳簿上に書き加えられるだけだ。
アメリカは、「これ買ったヤツ、帳簿に書いとくね」ということで、
豊かな経済環境を享受している。
つまり、私たちの給料のいくらかは、アメリカの人々の借金によって
まかなわれているということになる。
そもそも借金の考え方が日本人とアメリカ人でまったく違う。
日本人は借金してものを買っても払い終わるまでは自分のものに
ならないという感覚がある。
しかし、アメリカ人は借金自体が資産という考え方だからそうなる。


日本の景気がアメリカ人の借金による消費に依存しているということは、
日本の経済自体、いくらかの部分は虚構の上に成り立っているということ。
だから蜃気楼みたいなもの、竜宮城での一時のバカ騒ぎだと思うのだ。
にもかかわらず、ニュースはみな「景気回復」という。
「回復」という言葉をよくわからずに使っている。
ぼくはとても違和感がある。
回復というのは、元の状態に戻ることをいう。
では「景気回復」という場合の「元の状態」はどこを指すのだろうか。
まさか80年代のバブルではあるまい。
バブル崩壊後、「失われた10年」を経験したが、
その間ずっとメディアは「景気回復」を謳ってきた。
バブルというのは実態のないものを指す。
「実態のないもの」は、「元の状態」ではない。
その後、リーマン・ショック前までは戦後最長の好景気だった(らしい)。
「実感なき好景気」といわれた。
もしこの好景気の状態に戻るのが景気回復というのなら、
さっきいった理由で、蜃気楼の状態を「元の状態」と認識することになる。
いったい「実力どおりの経済」はどこにあるのだろう。
いつでも人々は「景気回復」を合言葉にしてやってきた。
実は「回復」など嘘っぱちで、今よりもっと落ちた状態が
実力なのではないかと思う。
だから「回復」ではなく、「向上」しなければならないはずだ。
景気は回復させるのではなく、向上させなければならない。
なぜなら日本は毎年社会保障費が毎年1兆円前後、自然に増えていく。
いうまでもなく少子高齢化だからだ。
このお金を稼ぎ出すのに景気を向上させなければならない。
そのためにGDPをいくら増やさなければならない、
年間3%の成長が必要だという話になる。
今の生活を維持するために景気向上が必要なのだ。


ところが、メディアは
「減った給料を元にもどすための景気回復が必要」
といっている。違うと思う。
ぼくの認識では
「減った給料が実力。これからの生活を維持するために景気向上が必要」
ということになる。
人は、お金以外の価値観がない状態では、収入をもとの状態に戻すという、
マイナスをゼロにするような意識ではやる気は起きない。
ゼロからプラスを生み出す意識になったときにはじめてやる気が起きる。
だからこそ、お金以外の価値観を持つべきだし、「景気向上」なのだ。
本当は貧しくないのに、なぜか幸福感が薄い日本人の意識には
こうしたちょっとした言葉の使い方も影響しているのではないかな。