「行」をやめてはいけない

結婚式の招待状の「御出席」の「御」を消すかどうかという話が
あったが、この類の話に返信ハガキの名前の後の「行」は
あらかじめ消してはどうかという人が最近いる。


自分の名前を書くときは「行」であり、「出席」であり、
他人様のときは「御中」であり、「様」であり、「御出席」である。
ぼくなんかはこれこそが世界に誇る日本の文化だと思う。
(「お名前様」はどうかと思うが・・・)
ご祝儀のお札の数を奇数にしたり、香典に新しい札を入れないでおいたり、
たたみの端を踏まないのもそうだ。すべて意味がある。
日本語には尊敬語と謙譲語があり、改めて尊敬の意味を言葉にしなくても
言葉の端々で気持ちが通じるようになっており、通夜に喪服を着ないのも
残念な気持ちを、言葉にしなくても表せる素晴らしい習慣だ。
「行」も「自分などはそんなもので結構」という謙譲の気持ちの表れ。
お土産を「つまらないものですが」というのもそう。
「うちの愚妻(愚息)が」というのも昔からの謙譲の気持ちの表れだ。
それがいまは個人主義になってきて家族に一体感がないから
違和感を覚える人が出てきた。
さらに欧米式の合理的、効率的なやり方ばかり学んだから、
「行」はなくそうという人が出てきた。
そのほうが手間はかからないからというのだ。
冗談じゃない。
なんでも効率的なことばかり考えるなといいたい。


ぼくも20代前半のころはこういう文化をバカにしていた。
でも、世の中の仕組みを知るにつれ、日本がいかに欧米の真似をして
自分たちの魂を失っているかもわかってきて、
尊敬や謙譲の文化の価値がわかるようになってきた。
海外に行くと日本がどんなに安全で便利か知ることができるが、
日本の伝統を知るのに海外に行く必要はない。
歴史を学び、伝統的なしきたりにはすべて意味があることを知ればよい。
実は国際化には、こういう日本の伝統を外に向かって
アピールするのがもっとも手っ取り早いし、外国人受けがいいのだ。