日本人における「宗教と山の接点」

京都の僧侶ライターさんからもう一つ教わった話。


日本は、神道ができる前から山岳信仰があったという。
山は水が流れ、果実がとれることから生命の源であったし、
川が氾濫すればすぐさま生命の危険にあった日本特有の環境が
「川が氾濫したのは山の神が怒ったからだ」という考えに
つながった。人が死ぬと遺体は山に葬ったという。


各地の伝承、口伝をまとめた、「まんが日本昔ばなし」を
観ていても山岳信仰に関係する話がたくさん出てくる。
山に対して恐れ、敬う心は自然と芽生えたのである。
今は雷にしても洪水にしても、あるいは日食にしても
ある程度、科学的に説明がつくようになってきたこともあって、
人間は自然をコントロールできないまでも克服できるような
錯覚に陥ってしまい、畏怖、畏敬の念を忘れてしまった。
私が哲学、考え方としての宗教に興味を持っていることと、
森林や自然の生態系について勉強していることがここでつながる。
つまり、人間と自然とのかかわりをどのようにすることが、
人間にとっても最も幸せなことなのか、ということだ。
自然について学ぶことの最終的な目的はここにある。
壮大なテーマですが、一生かかって勉強するぶんには
これくらい大風呂敷を広げたほうがいいんでしょうね。