墓には入りたくない

地方警察に務める友人のもうひとつの話。
その彼は交番勤務を経て、いまは署轄の刑事となった。
交番勤務のころから変死の現場に立ち会わされている。
若い警官が率先してそうした現場に投入される。
変死体の免疫をつけさせるためだ。
その彼も凄惨な死体現場を何度も経験して
よく私に語ってくれた。
とりわけ印象に残っているのは、いまのような夏場の時期、
ウジに食われた死体を扱う話である。
曰く、「カチャカチャカチャカチャ」と音がするのだそう。
なんだか湿った、いやな音である。
ハエが臭いをかぎつけやってきて、鼻や口の中から体内に入り込み、
軟らかい粘膜に卵を産む。
そこからウジが発生し、死体を栄養としてハエに育っていく。
人間から見れば、むごたらしい、悲惨な光景だが、
ハエからすれば生存と子孫繁栄を目的とした、
自然な生命活動である。
そうやって自然界は循環していく。


ところで、私は死んだら墓に入りたいとは思わない。
三代、四代と世代を経れば、私を知る子孫はいなくなり、
せっかくつくった墓も雨風にさらされ、いずれは風化し、
野辺の石ころとなるに違いない。
2人の子どもたちも結婚して子どもをもうけるとは限らず、
彼女らが私の墓を守ってくれるかどうかも疑わしい。
最終的には遺品もなくなり、誰の記憶からもきれいさっぱり忘れ去られる。
たいしたことはない。長い月日を経れば、みんなそうなるのだ。
それが早いか、遅いかだけの話だ。
そうであるから、私が死んだら墓に骨を収めるよりも、骨は粉状にして、
山や海に、風にのせてまいてほしい。
千の風になって」じゃないけど、粉なら風に乗せても迷惑になるまい。
本当は鳥に死体を食わせる鳥葬にするか、それこそハエに食われ、
微生物に分解してもらったほうが、地球にとって資源のリサイクルに
なるのでいいのだが、いまの日本の法律では「死体は焼くべし」となって
いるのでそうもいかない。
それに、残される人の心情として、鳥やハエに食わせるのは耐えられまい。
孤独死ならなおのこと。何しろ、カチャカチャと音がするのだから。
自然界では自然な出来事も、都市生活では奇妙な光景になる。
もう人間は本当にナチュラルには生きられないのかも。