人間の生き方としての仏教

自分の身の回りに起こった出来事に合わせて、
考えを深めておくのも私の流儀です。
先日、祖母が亡くなったとき、四十九日の間、お経を上げるようにと
両親がお寺さんからCDをもらってきた。
帰省中はそれをかけながらの読経に付き合ってきた。
CDの内容は20ページほどの小冊子にまとめられていて、
CD全編を聞くとその小冊子1冊が読めるようになっている。
最初は普通に日本語で書かれたような内容で、ちょっと考えれば
たぶん「こういうことを言っているんだろう」とわかるようなもので、
3分の2が経過したところでよく知られている般若心経の262文字の
ところに達する。そのあと、少しまた別のお経があって、
全体が20分ぐらいのものである。
般若心経はこの20分のうちの一部を構成しているにすぎない。
ならばその他の部分は何なのか。


その点について京都に住む僧侶の資格をもっているライターさんに
話を聞いたら、1時間ほどありがたい説法をしてくれた。
それによると、般若心経は長いお経のうちのエッセンスを凝縮したもの
であるのだが、般若心経だけでは短すぎるので、般若心経を日本語訳した
ものや、長い経典の別の一部を付け加えたものを、
うんざりするほど長くなく、あっけないほど短くもないものに
編纂したものだろうということだった。
釈迦の教えから中国を経由して日本に伝来してどのような変遷を
仏教がしてきたのかについてかなりディレクターズカットバージョンで
話してくれて、非常にわかりやすかった。
葬儀や49日の間にお経を上げたりする儀式は、
死者のためのものではなく、残されたものへのケアのためであるという。
49日ぐらいすれば、沈んでいた気持ちも癒されるころだというのである。
なるほど。
昔から宗教が哲学だと気づいた科学者たちは、仏教を哲学だとして
科学的に検証を続けてきており、最近は脳科学が目覚しい発達をして
いるので、瞑想することの合理性が脳波によって明らかに
されていたりする。
私も人間の生き方の面や、考え方の面で宗教、とくに仏教的なものに
興味があるので、日頃からちょっとずつ勉強していきたいと思う。