再生の過程を知りたい

あまりよくないことなのですが、
芸能人の巨額詐欺事件とか、公然わいせつ事件などがあると、
芸能人が全部悪い人間に見えてしまう。
「次はこの人が悪さをするんではないか」とか想像してしまう。


彼らはどうやって反省し、復帰するのだろうか。
刑務所を見たあとだっただけに、罪を犯した人は
どのように反省の過程を歩み、どうやったら更生するのか、
ということについて、考えてしまった。
刑務所というのは、そうとう厳しいところである。
衣食住は保証されていても夏は暑いし、冬は寒い。
好きなものは食べられないし、どこにも行けない。
独居房は人がいなくてさみしいし、
大部屋は他人とうまくやっていけなければ地獄である。
その一方で、更生のためのメニューもある。
資格が取れたり、職業訓練ができたり、「読み書き計算」や一般常識の
授業があったり、宗教家のありがたい話を聞くこともできる。
刑務所内は木々が生えておらず、殺風景なところだった。
「もっと緑があったら、すさんだ心も癒されるだろうに」
と思ったが、次の瞬間、「いや、この施設は刑罰を与えるための施設だった」
と思い直した。
自由を奪って役に服させたとしても、社会に出たときに
食べて行く術がなければまた罪を犯して戻ってくる。
ましてやいまは仕事がない。出所しても現実は厳しい。
刑罰を与えることと、更生をさせるためという、
この二つのバランスをとるのがとても難しい。
このことに「人権擁護」の考え方も入ってくるとよけい複雑になる。
再犯率ばかりが報じられるが、更生率はわからない。
当たり前だが、更生した人は刑務所に戻ってこないからデータが取れない。
本当は再犯を犯した人より、更生した人のほうがずっと多いのだと思う。
メディアはうまくいった人の話は流さないものなのだ。
出版業界はそういう話こそ世に出すべきだと思う。
たまに暴力団員だった人が宗教家になったり、逮捕される一歩手前まで
いった人が立派な教師になった話が出てくる。
そこには人が再生していく過程が書かれている。
ぼくはなぜその人がその犯罪に及んだのかよりも、
どうやって再生していったのかに興味がある。
悪い話を載せるのは簡単、いい話をいかにつくっていくか――。
そんなことが大事なような気がしている。