「タッチ」劇場版

長澤まさみ主演で話題になった「タッチ 劇場版」がテレビに登場。
映画館で観るほどではないと思って、行かなかった。
行かなくてよかった〜。
はっきり言って、非常に残念な出来であった。
これは原作とは別物である。
不満点はいろいろあるが、何十時間とあるアニメに慣れ親しんだ
私のような世代は、どうしても「浅いなあ〜」と思ってしまう。
そもそも「タッチ」って、結構微妙なところをついている。
たとえば、弟が死んだとき、兄が必死に平静を装うところとか、
音楽のボリュームを最大にして、部屋で一人泣くとか、
そういう思春期の男子高校生らしい反応がよかった。
それと物語には、枷が必要。
枷とは、主人公が「こうしたい」という思いである、
その思いが強ければ強いほど、葛藤が生まれ、見るものは共感する。
ところが、今回の作品は、「南を甲子園に連れて行きたい」という
いわば、ちょっと不純な動機で最後まで突っ走ってしまう。
違うだろ、と思う。
なぜそうなってしまったか。
それは、柏葉監督が出てこなかったからだ。
アニメでは柏葉監督が登場してからのほうが長く描かれる。
達也は、最初「南を甲子園に連れて行きたい」という動機で
高校野球を始める。
しかし、そういう考えの甘さを正してくれたのが、柏葉だった。
達也は柏葉に反発しながらも、和也のことは忘れ、必死に猛練習する。
和也がなくなった直後、「朝、ランニングする」と決心したものの、
起きられず、「和也、ランニングは明日からにするよ」といってしまう
弱さがあったのに、柏葉にしごきぬかれてたくましくなるのである。
達也はしだいに、和也や南のためではなく、
自分のために甲子園を目指そうとするのである。
そこに達也の、人間としての精神的成長があった。
つまり、「タッチ」は、ラブストーリーなんかではなく、
「一人の高校生(達也)の成長物語」なのである。
男の子が好きなのは、こういう話だからである。
決して「南ちゃんが好きだから」ではない。
南ちゃん嫌いな女子は多いが、
ここのところを、世の女性陣は勘違いしないでいただきたい。


劇場版では高校2年生で、甲子園に行ってしまうけど、
原作では2年生の段階では負ける。
でも、3年の夏にやっと甲子園に行ける。
簡単には甲子園に行かせてくれない。そういうところが妙にリアルなのだ。
ライバルである新田も、まともに立って歩けないほど疲れて
練習から帰ってくる姿が、原作ではちゃんと描かれている。
こういう努力している姿が見られないと、野球をやっていた人から見ると
一気にしらけてしまうのである。
道が困難であればあるほど、それを達成したときに感動がある。


キャストもやや不満。
達也役と和也役の二人にはもっと野球を練習してほしかった。
早い球を投げなくてもいい。CGなんか使わなくていいから、
練習したんだなというのがわかるような力感を見せてほしかった。
登場人物たちと一緒で、出演者も努力しないとね。
それだけで野球経験者は、野球シーンに満足する。
長澤まさみもちょっと違うかなという感じ。
沢尻エリカ様よりはいいけど。
「南、オレが甲子園に連れて行ってやるからな」


「別に」


っていわれたらイヤだもんね。
とにかく、やるなら本当に原作を読み込み、2時間半でもいいから、
ちゃんとした深みのある映画にしてほしかった。
また別の機会で映画化されることがあれば、観たいと思う。