「自信がない」は理由にならない

結婚し、出産を控えていることが相手に知られると、
未婚の人だと必ず結婚観の話になります。
彼ら彼女らが必ず言うのは、
「やっていけるか自信がない」
「子どもを育てていく自信がない」
「養っていく自信がない」
といったことです。
要するに自信がないから、踏み切れないのだそうです。
自信というのは、やる前からあったりなかったりするものだろうか。
ぼくが「自信がないなあ」としり込みするとき
思い出す一つの話がある。


前にHPに書いたことを再録する。


その人の現在の職業は、料亭の主人である。
だが、この人の経歴がハンパではない。東京大学を卒業し、ハーバード大
学大学院で博士過程を終了。その後、東京大学ハーバード大学の教授を
歴任してきた。そして、なぜか今、料亭の主人におさまっている。
どうして地位も名誉も捨てて商売の道に入ったのか。そのきっかけは、
病床にいた父との会話からだった。
彼はもともと料亭の主人の息子として生まれた。その後、大学教授になる
わけだが、大学教授を何十年と続けるなかで、彼のなかには一仕事終えた
というある種の達成感があった。生徒たちはまじめだし、職場もまずい
うことがない。ならば何か他にやれることはないだろうか……。

そう思いながら、彼はまず大学を辞めた。そして、実家の料亭を手伝っ
たり、たまには大学に顔を出したりしていた。そうしているうちに、彼の
父親は病床に伏し、調理場に立つことができなくなった。父親は自分の死
期を察してか、息子に語りかける。
「お前、大学を辞めて、それでどうなんだ。商売をやる気があるのか」
息子には父親が何を言いたいか、もうわかっている。
「ないことはない」
「それで自信はあるのか」
「そりゃあ、やってみてうまくいけば自信もつくし、失敗したら自信もつ
かんだろうなぁ」
「それやったら、やってみぃ」
そうして彼は商売をやることになった。
経済学のことならわかるが、実際の商売とはまた?かって?が違う。
ハーバード大学の大学院を出た彼であっても、商売の道ではずぶの素人
同然なのだ。
「何でもやる前から自信があるとかないとか、そもそもやったことがない
んだから決めることができない。それだったら、やってみればいい」。
彼は父親との話の中で、自分が言った言葉を反芻していた。それなら、い
っちょ、やってみるか。そういうわけで彼は料亭の主人になった。


この話で大事なところは、自信というのは、やってみて初めて
持ったり、持てなかったりするものであるということです。
結婚や子どもをつくるといったことは、当たり前だけど誰でも
最初は自信があるからやってみるわけではない。
結婚や子育てに自信満々な人なんかいない。
そうすると、そのほかに理由があるときは別として、自信がないという
理由は、そのことをやらない理由にならないということになる。
だから大体のことはチャレンジしてみることができる。
「自信はやってからつきもし、なくなりもするもの」
いつもぼくが思い出す話です。