育児と大人の人生 その2

子どもを生み、育てるということも、別段、特別なことでなないと
考えている。どうして今の時代、そんなに大ごとになったのか。
メディアの中にいるから、言うのに気が引けるけど、
あまりメディアのいうことを気にしないほうがいい。
子どもは手がかかる、お金がかかる、待機児童がたくさんいる、
虐待だ、貧困だ、学生ローンだという話が乱れ飛ぶ。
「子どもがいると、こんなおもろい」というのは記事になりにくい。
「そんな記事、誰が読みたいの?」とデスクに言われておしまい。
必然的に、育児は大変だという話ばかりになる。
結婚だってそう。
「結婚はこんなにいいもの」という話は記事になりにくい。
「人の幸せな話なんて、なにがおもろいの?」と編集長に言われておしまい。
残念ながら、「人の不幸は蜜の味」なのだ。
お金が発生するメディアでは、スポンサーの手前があったり、
利潤を追求しなければならない手前、「いい話」はあまり必要とされない。
(だから私は単行本やブログではいい話を書きたいのだ)
「メディアってなんだかなあ」と思うし、「マスゴミ」なんていう。
でも、結局クリックしている記事はそんな記事じゃないのかな。
実際、私がそうなのだから。
「育児は楽しいこともあるけど、イライラしたり、腹の立つことも多い」
というのと、
「育児はイライラしたり、腹の立つことも多いけど、楽しいことも多い」
というのは全然意味が違う。
私の場合は後者だ。
母親と比べて圧倒的に子どもと過ごす時間の短い父親であるのに、
子どもにイライラしたり、腹が立ったりすることは多い。
寝ているところに飛び乗られたり、地味に痛いことをたくさんやられる。
それを補ってあまりあるほど、楽しいことのほうが多い。
うまくやっている父親を見ていると、子どもをダシにして
自分が楽しんでいる。
一緒にスポーツをやったり、フィギュアを買ったりしている。
人生を楽しみつくす要素として子どもを組み込んでいる。
私は子どもが相手にしてくれるうちは、彼らをダシにして一緒に遊び、
相手にしてくれなくなったら、自分の楽しみに没頭する。
何せ、子どもが相手にしてくれなくなってから、下手すると、
20年、いや、30年ぐらいある。
人生を遊びつくすには十分な時間だ。