制限されることの幸せ

「今の私なら何をやってもいい。それが物足りないのかも・・・」
ということを言った女性がいた。
仕事の打合せが一段落したときであった。
彼女はあるマスメディアに勤めている30代前半の女性だ。
「今の私は仕事を続けてもやめてもいいし、実家に帰ったっていい。
カレシがいたり、結婚したり、子どもがいたりすれば、
自分が好きなようにできないでしょう。でも今の私はなんだって
できる。だから、物足りないというか、何か制約がほしいのよね」
というのである。
私はハッとした。それと同時になるほどとも思った。
自由に使えるお金があり、自由になる時間がある。
それでも何か満たされない思い。
時間もお金も制限されていることに悩む人がいる一方で、
制限されないことに物足りなさを感じる人もいるのだ。
彼女の物足りない思いを一言で言えば、
「張り合いがない」ということになるのかもしれない。
何か制約があれば、そこに張り合いが生まれ、
生きている実感が得られるということなのだろうか。
「結婚して自由に飲みに行けない、自由になるお小遣いも少ない、
子どもがいて自由に遊びにいけない、そういう制限されている
状態こそが幸せな状態なんだと思いますよ」
と彼女は私に言ってくれた。
なかなかよいことを言う。
細君はこういう言い方をする。
「この服が着られないとか、この靴が履けなくなるとか、
夜飲みに行けないとか、そもそもお酒を飲めないとか、
結婚・出産で残念だと思うこともあるけれど、それを
補ってあまりあるほどの喜びが結婚・出産にはある」
どうやら、父親よりは母親のほうが自覚するスピードが
早いようである。
「制限がある人生の幸せ」を思った。
自由になることがすべて幸せか?
そうでないこともある。
制約があるなかでどうやって楽しみを見つけていくか。
制限があることをたのしめたら、きっと結婚・出産は
うまくやっていける。
人はないものばかりに目がいく。
あるものに目を向ければよい。
結婚や出産によって「お金や時間を取られる」と考えるよりも、
「自分以外のためにお金と時間を使えることができる」
と考えるようにすることだ。
起業したベンチャー企業の社長さんが創業時のことを
語ってくれたことがあった。
「お金もない、人手も足りない、時間もない。
ないないづくしだから使い方を考える。これが最初から潤沢に
あったら使い方なんか考えませんよ。ないのが当たり前だから
『ある』ことに感謝できるようになる。創業時のドタバタが
一番人が成長した時期でした」
これも同じような話である。
ないから使い方を考える、あることに感謝する
もっともな話だと思う。
子どもが生まれるとさまざまな面で制約があるだろう。
彼女の言葉を借りれば制約があることが幸せだし、
「制限」を補ってあまりある喜びがあることも確かだ。
たのしみも喜びも案外近くにある。