わかりやすいものは 

「わかりやすいものは本質からは遠い」

最近取材したある思想家の言葉。

大学ラグビーで優勝した天理大関係の記事を読んでいると、

「エリート対雑草」といった早稲田大との対比で

構成したものが多かった。

早稲田大には高校時代から花園で活躍した選手が多くいて、

天理大は無名な高校からたたき上げで成長したというのだ。

高校で華々しく活躍できなかった選手が、

大学では奮起して…というのは、わかりやすい。

でも、これぐらいのレベルになると、練習量に差はないだろう。

天才型と努力型というのは、古くは長嶋茂雄王貞治時代から

よく使われてきた。

わかりやすいがそういう構図にした結果、他のものが

見えなくなってしまう。

みんなほとんど同じ量の努力はしただろう。

これ以上ないほど、ラグビーに時間をつぎ込んだはずだ。

違いがあったのは、練習の、トレーニングの中身、質だろう。

その違いが「天才型VS努力型」では見えなくなってしまう。

早稲田だってめちゃくちゃに練習しているはずなのだし、

高校時代の活躍にあぐらをかくような選手は

あの場に立てていないはずだ。

私も書き手として、安易な構図に逃げないようにしたいと思った。