「学校に行くのが義務」
そう思っているのは、子どもも親も多いんじゃないか。
これってよく誤解されるんだけど、
義務教育の「義務」というのは、
「親が教育を受けさせる義務」
のことなんだよね。
だから、学校に通うのが子どもの義務ではないのだ。
僕は学校が大好きなタイプで、中学までは勉強もスポーツも
そこそこできたから、楽しくてしょうがなかった。
いま学校に行けなかった有名人たちが、
学校行かなくても大丈夫って言っているでしょう。
そういう人は説得力があるけど、
学校大好き人間も
「学校って死ぬ思いまでしていくところではない」
と思うんだ。
学校が大好きで、学校のいいところもいっぱいわかる僕ですら、
死にたいぐらいなら行かなくていいと思うんだから。
でも、勘違いしないで。
学校は「行けるなら行ったほうがいいとこ」でもあるんだ。
いろんな人と接すると、いろんな景色が見える。
自分の部屋から見える景色はいつも一緒だ。
ネットで検索するだけで見える世界は、
自分の部屋の窓から見える世界のようなものなんだ。
人間は、見たいものを、見たいようにしか見ない。
ネットは検索する以上のものを与えてくれはしない。
自分を守るための情報を探そうとすると、
後ろ向きな情報を自然と集めてしまうんだ。
世界を見る複数の窓を持つことが必要だ。
複数の窓、そうウィンドウズだよ。
ネットじゃなくて複数の窓から世界を見るんだ。
親と先生と友達という窓からしか世界を見ていなかったら、
「世界はこんなもん」って錯覚してしまう。
親や先生や友達以外の人と会って話をしてみよう。
それが複数の窓から世界を見るってことだ。
そのためには、いまやっているようにネットで検索したっていい。
話をしてくれる人、聴いてくれる人は、必ずいます。