「真実」を書くのがすべてではない

20年ぐらい前、ある政治家を扱った本を作ろうと、

彼の地元で市民に取材したことがあった。

市井の人たちの言葉を本にしようというコンセプトだ。

そのときの編集者が、市民の人のコメントとして私が書いた

有権者はみんなそう思ってるんじゃないの」

という発言の、「みんな」の部分を削ろうと言ってきた。

理由は「みんなが思っているわけないから」というものだった。

確かにそれはそうだ。

「みんな」「すべて」「絶対」「必ず」というのは、

よほどのことがない限り使えない。

どんなことにも例外があるからだ。

でも、この場合は「真実」を書くのが必要なのではない。

その人が「みんな」と言っていることに意味がある。

コンセプトが「市井の人の言葉を本にする」だからだ。

その編集さんは、読者からのクレームを恐れて、

「みんな」「すべて」「絶対」「必ず」というのに反応したのだろう。

こういうのに対してクレームを入れてくる読者がいて、

その人が電話で長々と話をすると、編集者の半日は簡単に潰れてしまう。

クレームを恐れる気持ちはわからないでもない。

いまならコンセプトを盾に反論することはできるが、

未熟だった私は、「だったら、この箇所、全部削除します!」

と言ってしまって反省したのだった。