我がレジスタンス

私たちはいったい何がしたいのだろうかと、ときどき考える。
かつて産業革命が起こした動機としては、
単純作業をずっとやっていたくない、
つらい肉体労働から解放されたい、
というのがあったと思う。
たとえば、私たちはダンプカーをつくり、ショベルカーをつくり
つらい肉体労働から解放された。
ところが、いまは筋トレがブームだという。
筋トレなど肉体労働の極みではないか。
単純作業をやりたくないということで、
オートメーションというのを開発し、
機械に作業をやらせることで解決していった。
単純作業をやらずにすむようになったので、
もっと知的でクリエティブな仕事ができるようになった。
でも、その頭脳労働もしんどくなってきたので、
今度はAIにやらせようとしている。
頭脳労働したいために、ダンプカーやショベルカーを
つくったのではなかったんかいと。
肉体労働も、頭脳労働も機械にやらせよう、
もういっそのこと全部機械にやらせよう、
それが私たちが本当にやりたかったことなのかな。
私たちはそのうち、遊びとしてだけ頭脳を使うようになるのかな。
必要もないのに、筋トレをするみたいにさ。
趣味として、遊びとして、
筋トレをして、脳トレをする。
そうやって一日が過ぎていく。
誰とも話すことなく、誰からも感謝されることもなく。
そのかわり誰にも迷惑をかけないですむ。
そういうクソったれな社会に抗い続けていく。
小さなレジスタンス。
たとえ負けるとわかった戦いでもだ。