尊重して待つ

次女の通う幼稚園で劇の会があった。
次女は1つの役を、2つの幕で演じた。
主役でもなんでもないが、彼女らしく味のある演技で
堂々としたものだった。
本番までは緊張しているといっていたが、
どこらへんが緊張しているのかわからなかったほど
堂々としていた。


劇の場面ではおやっと思ったことがあった。
ラストの場面だ。
主役が最後の言葉を述べて、「落ち」になるはずだった。
だけど、沈黙の時間が5分ぐらいに感じた。
まわりの子たちが主役の子にささやく。
「セリフを忘れてしまったのか?」
と思った。
すると、担任の先生の声でセリフがナレーションになって代弁された。
それで「おしまい」となって、拍手喝采となった。
劇は毎年年長が卒園前に行うもので、ナレーションなども
全部子供たちが行う。
でも、今回はセリフ部分が一部、先生のナレーションになっていた。
こういうのは長女のときにはなかったので、
どうしたものかなと思って妻に聞いてみた。
すると、主役を演じたある子が、どうしてもその役をやってみたい
のだけど、セリフが言えるかどうかわからないということらしかった。
それで、先生は時間をかけてどうしても言えなかったら、
先生がナレーションとして言えなかったセリフを代弁すること
にしたらしい。
先生は待ちに待って、最後にナレーションのセリフを加えたのだ。
この幼稚園らしいと思った。
子どものやりたい気持ちを尊重して、
「セリフが言えそうにないなら、ほかの子に代わろうね?」
ということをせずに、できるかどうか、時間をかけて待ったわけだ。
そして、できるかどうかわからない子を主役の座から
引きずり降ろさずに、あたたかく見守ったほかの子たちも
素晴らしいと思った。
最後のセリフは言えなかったけれど、主役の子は
ある達成感をもってこの劇を終えたことだろう。
待つってことが大事だね、難しいけど。
私たちはとりあえず見栄えがいいものを求めがちだ。
そこに細やかな気持ちの入り込む隙間はない。
でも、そんな隙間があってこそ、子どもは育つのではないか。
子どもに「できないからやめとこう」といって、やる前から
させないでいることのなんと多いことか。
やりたい気持ちを尊重して、時間がかかっても待つ。
またいいことを教わりました。