怪奇現象の原因へのヒント 後編

住職の話では、怪奇現象を経験した人は、
「視覚、聴覚のレンジの広い人なのだろう」
というのである。
たとえば、視覚についていえば、
私たちが見ている世界というのは、
可視光線に反射する光だけで構成された世界だ。
可視光線の両端の外側には、私たちの見えない世界が
広がっている。
それを見えるようにしたのが、たとえばレントゲンだ。
レントゲンは可視光線の外側にあるX線という電磁波を
照射して、見えない世界を見えるようにしたものだ。
聴覚でいえば、たとえばモスキート音がそうだ。
ある一定の周波を超える高い音になると、
若者にしか聞こえないといわれている。
年をとって聴覚が衰えると、そういう音域が聞こえにくくなる
ということだ。
このように、人間が見える範囲、聞こえる範囲というのは、
多少の個人差がある。
人が聞こえないものが聞こえる、
人が見えないものが見える
というのは、そのレンジが広い人だというのだ。
つまり、感度が高い人である。
じゃあ、「死んだ人が憑依するのはどんな感覚なんだ?」
と言われると、これも想像でしかないのだが、
やはり「第六感」ということになるのではないか。
かつて、第六感というのは、フェロモンのなせるわざかもしれない
という本をつくったことがある。
科学がまだ見つけていない人間の感覚器があるかもしれない。
その感度の高い人(レンジの広い人)は、
いわゆる「霊感の強い人」になるのかもしれない。
人間にも個体差があることを忘れてはいけない。


私たちの世界の不確実性が高まるにつれて、
人々は安心を得たいために、共感を得ようとしている。
同じ特性を見つけようとしている。
そのため、他人との相違点を受け入れられなくなっている。
不寛容な社会がどんどん深化しているように感じる。
レンジの広い人を排除するのではなく、
うまく活躍してもらう道はないものか。
楽家などは聴覚の音域が広いに違いない。
そういうのが、視覚や「第六感」にもできるといいね。
「いたこ」の世界じゃなくてね。
科学は発達しているように見えるけど、
そこらへんの知恵の世界がまだまだ未発達だ。
知恵の世界の発達に、出版の世界から
少しでも貢献していきたいものだ。