両極端の接点

いまコンピュータの未来の話と里山生活の本を手がけています。
一方は、コンピュータが極度に発達した世界というのは
どんなものなのかという話。
もう一方は、海外エネルギーに頼らず、
人間らしい生活をするには何をすればいいかという話。
なんともまあ、両極端の話だなあと。
スマホにリアルタイムで災害警報と避難ルートが示されるようになる
という世界の話をしているのに、一方では薪でご飯を炊くと
いっているんだから。
でもね、この二つの話には接点がある。


コンピュータが発達すると、人間の仕事が奪われる。
レジ打ちの仕事がなくなっているけど、あと何十年かすれば、
私のような人の話を聞いて、整理して、本をつくるという
仕事もなくなっているかもしれない。
そんななかで、コンピュータそのものや、プログラムをつくれる、
ごくごく一部の人だけが仕事があって、その他の人は安月給に
甘んじることになる。
1%の金持ちと、99%のそれ以外になる。
そうなったときはじめて、里山生活の出番になる。
海外からエネルギーを買う余裕がないから、国内でエネルギーを
調達するようになる。どこからか? それは山から。
長時間かけて都市に通勤しなくてもよくなり、四季の移ろいを
感じながら、ゆったりと衣食住を丁寧に生きることができる。


テクノロジーが発達すると、「元に戻る」ということが
いろんなところで起きている。
音楽は昔、ライブしかなかったけど、コンピュータ上でコピーを再現する
ことができるようになった。
でも、音楽で儲ける人は今はライブで儲けるようになっている。
ネット上の情報もそう。最初のころは情報を得るための便利なツールだったけど、
今は玉石混交の中から、正しいものや真実を選び取る目、センスが必要になった。
これは図書館や書店から、有用な本を選び出すのとまったく同じことだ。
賢くなるためには、多くの情報に当たり、そのセンスを磨くしかない。


こうした例と同じように、テクノロジーが極度に発達すると、
人の生活も原点に立ち戻っていくのかもしれない。
じゃあ、原点って何だろう。
それは持続可能ということだろうと思う。
森に住む文明から距離を置いた民族は、山が生み出す利子だけを取り、
決して元本には手を出さない。分をわきまえることが、自分たちが存続する
方法であることを知っているからだ。(この意味では、文明に近い、
欲しいだけ搾取する都市住民より彼らのほうがよっぽど賢い)
生命を維持するだけの食物を育て、あるいは自然から搾取し、
山がエネルギーをまかなえるだけの人口で生活するということ。
昔はそもそも持続可能な方法でしか、人々の生活が成り立たなかった。
でも、いつしかテクノロジーが、元本に手をつけて一時の繁栄を謳歌する
方法を提供してきたわけだ。
こんなことはいつまでも続かないと、人々は気がつきはじめている。
……ってなことを考えたが、これをこのまま言っても誰も聞かないから、
私は私の方法で、小さな小さな石を水面に投げ続けたいと思う。