障害があるのは社会のほう

ステラ・ヤングというオーストラリアのコメディアンであり、
ジャーナリストである女性のことを初めて知った。
彼女は、障害者と感動が結びつけられ、そのストーリーが
健常者のやる気を出すことに用いられていると指摘する。
「大変な障害者があれだけ頑張っているのだから私も」
というやつだ。
障害者が健常者のやる気を出すツールとして扱われていると。
彼女は、有名なプレゼン番組の中で、
「障害があるのは社会のほうだ」という主旨のことを語っている。
私と同じ考えの人がいることに衝撃を受けた。
障害は、歩けない足のことではなく、
車いすで通行することのできない道路の段差のこと。
そして、障害者を、自分たちを奮い立たせる存在としてしか見ない
社会の意識そのものである。
段差をなくすのは容易だが、人々の意識をなくすのは容易でない。
こういうことをメディアで語ると、お偉方はこういうだろう。
「あらためて障害者について考えたい人がどれだけいるのかな」
そうやって避けて通ってきた結果が、この社会ではないのか。
私は本や雑誌、ウェブの記事などで、このことに関する
小さな石つぶてを投じていきたい。