実感できる金額

なるほどなっと思った。
ある評論家が、舛添前都知事の話をしていた。
都民が舛添氏の金の使い方に反応したのは、
自分たちが実感できる金額だったから、というのだ。
石原慎太郎のときは、海外視察でクルーザーを乗り回しても
金額が実感できないレベルだったから、反応しなかった。
でも、舛添氏の場合は、数万円の話ばかりだったから、
都民は「けしからん」となった。
実生活でもそういうのを感じることってありませんか。
「私は子どものころ、貧乏だったから」という人って、
10円、100円にはものすごく細かいんだけど、
何十万円、何百万円になると、けっこうポンと出す人。
あれって、もう自分でわからなくなっているんですね。
ケチな人というのは、そういうところがありますね。
1円単位にこだわる人は、100万円レベルになると
扱い慣れていないので、わからなくなっちゃう。
庶民感覚っていうけど、国会議員が全部、それを持つと、
なんかちっぽけな国になりそうな気がする。
都知事レベルなら、もっと大きな話をしてほしいよね。
新しい都知事にはそんなことを期待したい。