一人ではない

友人のお母堂様の告別式に出席した。
友人というのは大学時代の野球部の同期である。
彼とは数年に一度、同期たちと一緒に酒を飲む程度の仲で、
母上様とは面識もない。
普通なら通夜、告別式には出席しないだろう。
でも、私は意外とすんなり、行こうと気持ちが固まった。
というのも、大学野球部の同期から一人も告別式に出席しないのでは
当の友人の面目が立たないだろうと思ったからだ。
死後の儀式というのは、もちろん故人のためでもあるが、
残される者たちにとってのものでもある。
儀式があることで、残される者はその死を受け入れ、
明日に向かって進んでいくことができる。
一方で、儀式は日ごろの人間関係のつながりを確認するものでもある。
「葬儀にはよほど親しい人でないかぎり出席すべきでない」
と書いてあるマナー本もある。
だが、葬儀に集まった人の顔を見て遺族は日ごろの人間関係を再確認し、
故人がいなくなっても、1人ではないのだと思うことができる。
そこから明日に向かうエネルギーが湧いてくる。
残された者の立場を考えれば、そうしたことは容易に想像できる。
忙しいのは誰も一緒。
忙しいとかお金がないという理由をつけるのを
本当の意味で貧しい生き方という。