幸せへの道

いま『家族という病い』という本が売れている。
家族の絆というものを前提に社会システムが構築されて
いるが、昔のような家族はだんだんと減りつつある。
殺人の多くは家族間によるものというデータもある。
「家族だから」という甘えが怒りを爆発させるのだろうか。
家族という意識が病なのかどうかわからないが、
経済成長は「病い」だと思う。
マクロ経済において「成長」というのは魔の言葉だ。
資本主義というのは、経済発展していく段階では有効に機能するが、
成熟してしまうといろんなところにひずみが出る。
それが格差の問題だ。
昔は「所得倍増」というのが幸せになるための合言葉だったが、
それはいまはもう難しい。
そうなったとき、どうなれば幸せを感じられるかというと、
「他人より金持ち」でしかない。
そこで、社長の報酬が3000万円だったものを5億、10億と
取れるようにしよう、株の配当でもたくさんもらえるようにしよう
という、富める人の論理で社会がつくられていった結果、
労働よりもお金を運用したほうが儲けられるようになった。
格差が拡大しても幸せと感じられる人が増えていればいいが、
実際はそうなっていない。
難しいのは、幸せをものさしにすると、何をやればいいか
わからなくなってしまうことだ。
GDPを指標にしているうちはやるべきことは簡単だ。
売り上げを増やして、利益を多く出せばいいからだ。
しかし、幸せというのは、朝起きて小鳥のさえずりを聞いたり、
おいしいものを食べたり、寒い日にお風呂に使ったり、
夫や妻や恋人と一緒に笑い合えたりしたときに感じるものだからだ。
GDPとは質が違いすぎる。
「幸せとは何か」をもっていないから、GDPを追うしかなくなる。
GDP、つまり給料増加を追うより、
「自分にとって幸せとはどんなことなのか」
を突き詰めるほうが、幸せには近道なのに違いない。