魏志倭人伝に見える樹木 その2

(その1から続き)
その謎を解くにはマツの生態を知る必要がある。
シイ、タブ、カシ類と違って、マツは痩せた土地でも生きていける。
海岸沿いにマツが育っているのは、砂浜に近いような養分の少ない
痩せた土地でも生きていけるからだ。
山でいえば、尾根のような乾燥地でもなんとか生きていけるのがマツだ。
6世紀になると、陶器を焼く窯の遺構からマツが利用された
ことがわかっている。マツは燃やすと火力が強いのだ。
ということはつまり、3世紀から6世紀にかけて
マツが次第に日本で勢力を広げていったのではないかと推察できる。
シイ、タブ、カシ類が切られて持ち出されると、その土地は痩せていく。
痩せていくと、これらの樹木が繁茂できなくなり、
代わってマツが台頭するようになる。
なぜシイ、タブ、カシ類が持ち出されたのか。
3世紀から6世紀の間に起こった、シイ、タブ、カシ類が
持ち出されるような変化とはいったい何だろう。
一つは、陶器の製作だ。窯で焼くのには燃料がいる。
もう一つは、鉄の精製ではなかったか。
3世紀ごろには中国から鉄が入ってきていた。
魏志倭人伝にある「倭国大乱」は、鉄をめぐっての戦いだとも
いわれている。(今も昔も燃料で争いが起きるのだね)
植物を切り口にすると、こういう歴史の見方もできる。
こういうのを考え出すとキリがない。
歴史にハマる人が多いのもわかる気がする。