差別とは何か③

私は障害者と健常者という言葉が、
区別ではなく、差別に使われることを懸念する。
つまり、健常者からすれば、障害者はあっち側の人であり、
こっち側から見た、あっち側と見る。
そこには目には見えない壁ができる。
本来、障害は程度問題だから、壁などない。
健常者と障害者は地続きに住む同じ世界の住人であり、
特徴に濃淡があるに過ぎない。
このことは障害者だけでなく、あらゆる「違い」にも言える。
たとえば、ASD(アスペルガー症候群)においても、
その傾向がある人は世の中にゴマンといる。
認知症においても、老化の一側面という見方をしている専門家もいる。
違いを濃淡の差としてとらえる感覚が必要だ。
そうであってこそ、共に生きることが可能になってくる。
ただ、障害者という区別は必要だ。
区別しなければ、誰を支援をしていいかわからない。
今はまだ社会の側に障害があるので、障害者の支援が必要なのである。
適切な支援をすることができれば、共に生きることができる。
私たちは区別と差別を分けて考えることで、
違いを単なる特徴と捉えることができる。
障害者への理解はまずそこから始まると思う。