差別の芽

先日、こんなことがあった。
車を運転して、長女、次女を連れていた。
信号待ちで隣に、かなり古い形の車が並んだ。
昭和40年代前半ぐらいの、トヨタかホンダだ。
「昔の車はあんなだったんだよ」
というと、長女がすかさず言った。
「わー、ほんとだ。でも、恥ずかしくないのかな」
大人なら誰でも、「ああ、車好きなんだな」と
ビンテージカーの魅力はわからなくても、車好きの心情を
理解しようと努めるだろう。
びっくりして理由を聞いた。
「なんで恥ずかしいの?」
「だって、他の人と違うから」
というのだ。
私は2度びっくりした。
こういうところから差別の芽は育つのだなと思った。
「他の人と違うのは、恥ずかしいのかな?」
などと長女と話をして、
「他の人と違うことは何も恥ずかしいことではない」
と、妻と一緒に長女を諭した。
相手に対する敬意をもち、決して見下すような
ことがあってはならない。
違いを認めることは、翻って、自分を認めることにもなる。
差別の芽は今のうちから摘み取っておくことだ。