雑草

子どもから教わることは多い。
子どもは大人の価値観をまだ継承していないからだ。
こんなことがあった。
自宅の庭などの雑草をひとしきりむしったあと、
玄関口の郵便受け付近の雑草も抜いていた。
なんの植物かわからないが、けっこう茎の太い植物が生えていた。
自分が植えたわけではないから、引っこ抜いた。
それを見て、長女がその植物を育てたいといいだした。
「え、これたぶん雑草で、どんな花が咲くかわからないし、
咲かないかもよ」と言ったところで思いだした。
前日に妻に、「雑草は、まだその美質を発見されていない植物だ
という言葉がある。雑草のカテゴリーをつくっているのは人間だ」
と言ったばかりだった。
長女には雑草かどうかは関係ない。
生き物の成長を見守ってみたいのだ。単純な好奇心だ。
見栄えどうこうという問題はあるが、私はその「雑草」を
郵便受け付近の植わっていた場所に再び植えることにした。
一度抜いてしまったから、育たないかもしれない。
でも、それならそれで、一度抜いたらもう育たないのだ
ということを学ぶことができる。私も長女も。