『デフレの正体』の著者の藻谷浩介さんという方が、
「里山資本主義」というのを提唱しておられる。
里山というのは、エネルギー資源から食糧まで資源にあふれており、
マネー資本主義とは対極にあるものだという。
藻谷氏は、「都会に住んでいるのがエライという思い込みがあるが、
里山を維持する生活をしている人のほうがエライ」という。
また、「いま里山の資源を維持、継承していかなければ、
後の世代から『なんてもったいないことをしてくれたんだ』
と言われてしまう」という意味のことも言っていた。
私もまったく同感だ。
実は里山の価値というのは、実際に里山に住んでいる人には
わかりにくいと思う。あって当たり前のものだからだ。
人間は失ってはじめてその価値に気付くものなので、
里山の生活がいかに豊かか、都会に出てきて初めて気づく。
でも、あって当たり前のものがいま失われようとしている。
全国の里山集落の多くが人口減に悩まされている。
人がいなくなれば、山からの収奪がなくなり、
山は原生林のようになってしまう。
すると、生物が多様で、多くの生き物が棲み、食べ物など
多くの恵みを与えてくれる里山の機能が失われてしまう。
里山を資源と見なす生活は、再生可能(サスティナブル)
なものであり、里山が毎年生産する分だけを消費する、
つまり、元金はそのままで利息分だけを、里山から分けてもらい
消費する。このことで、再生可能となる。
かつてはこの利息分だけで生活することは難しかった
かもしれないが、日本は幸か不幸か人口減少社会に入ったため
実現可能になった。
かつてに比べて、これからはより少ない人数で
山の資源を活用することができる。
里山資本主義はとてもおもしろい考え方だと思う。