歴史ガイドツアーはいいものだ

福岡出張その②


福岡県太宰府市では、九州国立博物館と、
太宰府政庁跡、太宰府天満宮と見て回った。
こういうところに来たときは、あまり人にとやかくいわれず、
1人で自分の世界に入って、じっくり堪能したい人なので、
博物館では適当に見て回っておりました。
ところが、大宰府政庁跡を訪れたとき、
用をもよおしてトイレを借りるため、資料館を訪れたのが運のツキ。
学芸員の方につかまってしまった。
「ここには学芸員が3人もおるんでね、よかったらガイドしますよ」
というが、半ば強引にガイドツアーが始まった。
「3人もいたら、さぞヒマなんだろう」と同情してしまい、
お願いすることになった。
ところが、これがなかなかおもしろかった。
大宰府の「大宰」とは、もともと昔の「国」を数カ国統治する、
国府のワンランク上の行政組織のことで、かつてはいくつもあったらしいが、
この福岡の大宰だけ残ったので、太宰府として地名になったのだという。
大宰府政庁は、その政務をおこなう場だった。
7世紀後半の政務といえば、儀式的なものが多かったため、
いま大宰府政庁跡となっているメインの場所は、儀式が行われる場で、
実際の事務的なことは周囲の庁舎で行われたらしい。
今の福岡は、当時は外国(中国、朝鮮半島)との玄関口であったので、
外国人とのやりとりを大宰府政庁でやったのだ。
ちなみに、彼らをもてなしたのは鴻臚館という施設で福岡市内にあったらしい。
その後の901年になって、無実の罪をきせられた
菅原道真が左遷されてくるわけだ。
道真は役人の世界では、ナンバー2だったので、左遷といっても
それなりに役所としては都に次いで大きな太宰府だったわけだ。
とまあ、そんな話を聞いて、次に太宰府天満宮へ。
太宰府天満宮は、道真が左遷から2年後にこの地で没した後、
京の都では天変地異、火事、飢饉などが続発。
「道真公のたたり」を鎮めるため、太宰府天満宮ができたというのは、
みなさんが教科書で習ったとおりだ。
なんでこの場所だったかというと、道真の亡骸を墓地に埋葬しようと
牛車で運んでいたところ、この地で牛が伏して動かなくなったので、
「道真公の御心によるものであろう」ということになった。
実はこの場所はもともと安楽寺というお寺さんだった。
そこに神社を立てることになった。
ここが多神教の国、日本のおもしろいところ。
いわゆる神仏習合ですね。
その後、明治になって、天皇家の神格化を目的とした神仏分離廃仏毀釈
が起こって、安楽寺は廃寺となり、太宰府天満宮となった。
幕末にはこの安楽寺三条実美尊王攘夷派が滞在していた。
そこへ坂本竜馬が来たという話もある。
坂本竜馬は、薩摩藩には人脈があったが、長州藩にはなかったので、
三条実美長州藩への紹介状を書いてもらったとか。
そのため、安楽寺は倒幕の策源地として知られているという。
大宰府政庁の資料館の学芸員の方と、
太宰府天満宮の無料ガイドの方から、
合計2時間以上のレクチャーをいただきました。
大変勉強になり、またおもしろくもあり、貴重な体験となりました。
ガイドをしてくださったおふたりに感謝したいと思います。
みなさんもぜひガイドツアーを利用されてみてください。
最後に道真公が左遷されてきたときに読んだ歌を載せときます。


東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ