加減を知る感覚

あいかわらずいじめや暴行死の話題で騒いでいますね。
こういうのを見ていると、昔と最も変わったところは、
「これはちょっとやりすぎだな」と感じる、その感覚が
育っていないってことじゃないかな。
昔もあったことだけど、今のように死にいたるまで追い詰めるなんてことは
やらなかったような気がする。
「これ以上やったら死ぬ」という加減がわかっていて、
死ぬまではやんなかったと思うんです。
よく言われることだけど、加減を知らないんですね。
これやったら死ぬんではないか、という想像力が働いてない。
このことは、きょうだいが少ないから人間関係でもまれてないとか、
自然と触れ合っていないから生き物の強さ、弱さがわかってないとか、
死は非日常のことで、死に不感症になってしまったからとか、
いろいろ原因は取り出されるんだけど、このうちのどれかひとつが
原因ってことはなくて、そういうものが全部合わさって、
感覚が育たなくなっているんだろうと思う。
社会の問題は、これが原因でこれが結果というのがわかりづらい。
そのため対策も立てにくい。
効果があると思うことを、虚しくても続けていくしかない。