開発の歴史

先日、近所の住宅地造成について書いた。
現地を見てみると、681区画、「森都心、誕生」とある。
「森都心」というのがこの住宅街の名称らしい。
近くに神社があり、その周辺は鎮守の森で覆われている。
その神社を残してぐるっと周りが数百メートルに渡って
雑木林がなぎ倒されて住宅地となるようだ。
「森都心」は、森を切り開いてつくられている。
いかに住宅地の中に街路樹が植えられようとそれは森ではない。
それにここは都心から40キロは離れている。
都心でもないし、森でもないところにできた「森都心」。
PRのサイトには、
「自然とのふれあい」
「いつくしむ心」
「木々や生きものを守り育てる場所」
「心を癒す虫の音に包まれ」
などと書いてある。
こういう美辞麗句に心動かされ、自然が豊かなところに
住みたいと思っている人が、雑木林をなぎ倒した造成地に
住みたいと思うのだろうか。
この住宅地は大手住宅建設会社2社が販売している。
この2社だけでなく、他の住宅建設会社も多摩地区の残る緑地を
造成して宅地にしようとしている。
グーグルマップで見ると、多摩地区に唯一残される緑が
どんどんなくなり、ゴルフ場と宅地になっていく。
映画『耳をすませば』でモデルとなった地域に近い。
主人公の少女がカントリーロードの和訳詩でこう歌う。
「森を切りー 谷を埋めー ウエスト東京 マウント多摩〜」
いまだに新築物件をつくるというビジネスモデルを捨てきれないからこうなる。
新築物件をつくるには土地がいる。都心に土地はないから郊外へ。
郊外にも大規模開発の土地がないから、新しく土地を作って
売るしかないということになる。
そういうビジネスモデルが、人口減に突入している日本で
いつまで続くのだろう。


単に森を切るな、自然を守れというのであれば、
日本の発展の歴史は語れない。
降水量が世界平均の2倍近い日本では、放っておけば国土のすべてが森になる。
あの鳥取砂丘でさえ、「砂丘を維持する」のが大変なのだ。
だから、単に開発するなという観点では話は通じない。
日本のどこに住んでいようと、それはどこかで誰かが森を切り開いた土地なのだから。
私が19歳まで住んだ岡山県の実家だって、山を切り開いた上にあった。
まぎれもない開発された土地だった。
そのころは経済も成長し、人口も増えていたから、否定はしない。
だが、時代は変わった。
日本の経済は成熟し、人口はこれからどんどん減っていく。
新しく箱モノをつくるのではなく、直して使ったり、
新しい事や、人をつくる必要がある。
もう十分開発した。もういいんじゃないか。
「自然とふれあう」ことで、自然を「いつくしむ心」を育て、
「木々や生きものを守り育てる場所」で「心を癒す」ことのできる
別の方法を、私は考えたい。
耳すま」の主人公は歌う。
「古里はコンクリートロード♪」
こんな歌を子どもが歌ってたら嫌だから。