『河北新報のいちばん長い日』

ようやく長いものが読めるようになってきたので、
震災について腰を据えて読もうとまず手に取ったのがこれ。
河北新報という仙台を中心に東北をカバーするブロック紙の、
震災時の奮闘をまとめた一冊だ。
自社のことを自社の手によってまとめた本であるので、
自画自賛的な内容になるのはしかたない。
その点を差し引いても大変に読ませる内容だった。
私も記者の末席に身を連ねるものであるので、記者の葛藤が
吐露される場面では平常心では読めなかった。
今回の大震災では誰もが今まで経験したことのない修羅場を経験しただけに、
「これでよかったのか」という思いは抜けないだろう。
記者たちは取材すれば、「取材なんかしてていいのか」と悩み、
原発の問題では、「取材せず逃げていいのか」と悩む。
取材をしてもしなくても悩む。
そこには記者としての矜持と、それとは裏腹の奢りがある。
「被災者のために情報を正しく伝えなきゃ」という使命感、責任感が
苦しいほど伝わってきてある意味で痛かった。
原発の問題が起こったとき、避難し、取材できなかったある記者の話が出てくる。
逃げた自分を恥じ、それが許せず、震災後に記者を辞めてしまったらしい。
「そこまで背負い込むことはないんじゃないか」と思ってしまう。
震災なんて、一人の記者が取材したからなんとかなるなんて
そんな簡単なものじゃないし、読んだ記事ですぐに癒されるほど
被災者の傷は浅くない。
だから、それができなかったからといって背負い込むことはない。
「そんなに自分を責めないで」と言いたくなってくる。
一人ひとりは無力だ。だからみんなで協力する。
河北新報という組織がみんなで協力しながら、
自らも被災しながら震災報道を継続したことが本を通じてよくわかった。
日頃から雰囲気のいい会社でないとこうはならない。
地元にしっかり根ざして長年継続してきたことの正しさが
立証されたのではないだろうか。
河北新報の震災報道をまとめた縮刷版も書籍として刊行させているようだ。
こっちもぜひ読んでみたい。