「保護」や「共生」でなく

自然がいまだかつて
弱者の味方だったことは
一度もない


誰かの名言である。
自然にはなんの意志もないから、誰の味方もしない。
ただ、なるようになるだけ。
宇宙が誕生した時からある秩序に従って動くだけ。
あえてここで宗教的な考えを一切排除することが許されるなら、
災害によって死んだ者と生き残った者に、その理由はない。
地球は「生きて」いて、地殻変動が起き、そのはずみで
地震津波が起きた。それが事実だ。
産業革命を発端とする科学技術の進歩によって、
欧州を中心に自然は人間が立ち向かうものであって、
人間が制圧し、制御するものであると考えられてきた。
しかし、20世紀後半になって自然は人間が
保護するものになり、あるいは共生するものとなった。
でも、どこか違うなという気がする。
「保護」は強いものが弱いものを守るときにいう。
「共生」は2つのものが一緒に生きることをいう。
私の感覚では、人間と自然は2つの並び建つ項目で考えるような
ものではなく、人間は自然を構成するほんの一部にすぎない
というものだ。
だから、生かすも生かされぬも「自然の思惑」ひとつによる。
日本人は古来、その「自然の思惑」を神の業だとしてきた。
地震津波も自然現象の一つであって、
「災い」とするかどうかは人間が決める。
言えるのは、「地震」や「津波」は防げないが
「震災」は防げるということだ。
これらの違いを分かって、震災や自然災害をできるだけ最小限にする方策を、
「制御」ではない方法で考えるべきではないか。
私たちにはこの震災の教訓を後世に伝える役割がある。
そんなことを震災1年後に思う。