成長しなくていい

生きがいみたいなことについて、考えることがある。
「生きていたって意味ない」と思ってしまう人は、
社会から常に役に立つ存在であることを求められてきた人だ。
だから、役に立つ存在でなくなったときに、
「自分がいなくなっても何も変わらない」と思ってしまう。
役に立つ存在であることは、成長し続けることを強要する。
成長し続けることが、個人としても社会としても前進している
ことの証になる。停滞は、足踏みは、許されないのだ。
でも成長できない分野もある。
中川淳一郎氏は『ウェブはバカと暇人のもの』という著書の
中で「洗剤はこれ以上白くすることはできない」といい、
洗剤メーカーの開発者の憂いを代弁している。
企業も前進するには、常に改善し続けるしかない。
それが企業として成長することになるからだ。
成長や前進することは大事だ。
そういう願望があってこそ、科学技術は進歩し、
常に新しい芸術が生み出されてきた。
しかし、私たちが生きているこの世界は、すべて前進、成長できる
要素だけで構成されてはいない。
洗剤はこれ以上、洗濯物を白くすることはできないのだから、
洗剤の開発者はどこに達成感を求めたらいいのか。
回復の見込みのない障害者や、体力が向上することのない高齢者は
身体的に前進、成長することはないため、こうした人たちを
介護する人たちの達成感はどこに求めたらいいのだろうと思う。
欲望はある意味、世の中をひっぱる原動力になる。
その一方で、欲望は、プラスを生み出せない、
取り残された分野にも成長を強いている。
役に立つこと、成長することは、大事なこと。
でも、世の中、それだけではない面がある。
そこで考えることは2つある。
ひとつは、これまで追い求めてきた、成長の定義を
根底から考え直すこと。
もうひとつは、役に立たなくてもいい、成長しなくてもいい、
ただ、生きていればそれでいいと考えることである。
たとえて言えば、身長を伸ばすのではなく、精神面で成長することを、
社会が評価できるようにならないといけない。
私たちがこれまで求めてきた、わかりやすい成長の図式を
考え直す必要がある。そして、それもできなくなったら、
「生きてるだけでいいんだよ」と言ってあげられることである。
実際、人間を生物としてみれば、生きてるだけでオッケーのはずなのだ。
そういうやわらかな世界になれば、もうちょっと生きやすいのだが。