クリスマスに思い出したい話①


今日から一日おきで24日までに「クリスマスに思い出したい話」として
これまでブログで書いた中から3つのお話を再録します。


【サンタロースが存在する証拠】
最近の親は子どもにサンタクロースを信じさせることに必死だという。
それは「いつまでも子どもでいてほしい」=「大人になってほしくない」
ことの表れだとする人もいる。
子どもは子どもで「高額商品をねだれる日」としてクリスマスを
認識しており、あえてサンタクロースを信じている振りをするのだという。
子どものほうが一枚上手なのかもしれない。


「サンタクロースはいるの?」という質問を新聞社に送った
アメリカの八歳の少女に、編集者が紙上の社説で解答した話を
知っていますか? 編集者はこう答えた。


「サンタクロースはいるんだ。目には見えないけれど、
愛や優しさや、誰かのために尽くす気持ちが存在するのと同じように。
(中略)サンタクロースを見ることは誰にもできないんだ。
でも、サンタクロースがいないっていう証拠もないんだ。
この世で最も本当のことは大人にも子どもにも見えないものなんだ。
(中略)不思議な世界には、どんな強い人でも、どんな強い人が
たばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいな
ものがあるんだ。
無邪気な心とか、詩をたのしむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、
そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界
を見たり、描いたりすることができるんだ」


編集者は、大切なものは目に見えないものなんだ、
見えなくても感じられることができるんだと
いうことを少女に伝えかったに違いない。
愛や優しさや、誰かのために尽くす気持ちがあることを「信じられる」
ことが無形の資産、つまり目に見えないものこそが大切である
ということを言っている。


サンタを見たことがないからいないというのであれば、
神様を見た人がいないのに世界中で神様を信じている人が
いるのはどうしてか。
今の年齢になってサンタ問題についての考えをまとめると、
サンタは人間として「いる」というよりも、存在として「いる」と
いう解釈でよいのだと思う。神様と同じように。
神様やサンタのように深い意味で存在を云々するときには、
「いる」という言葉を、ツチノコヒバゴンネッシーなどと
同列に扱ってはいけない。
サンタが「いなければ」、どうして世の親はプレゼントを買うのだろうか。
親はサンタが人間として実在するのとは別次元で、
サンタが「いる」と思えばこそプレゼントを買う。
親にプレゼントを買わせるのは、
何よりもサンタの存在がそうさせているのだ。
そのことこそが、実はサンタが「いる」ことを証明している。
サンタを信じているのは、12月25日の朝に枕元に
プレゼントを期待する子どもたちではなく、
実はプレゼントを買う大人たちのほうなのだ。
私たちは見えないものを信じてお金を払う。
見えるものだけを信じるようになったら、それは逆に子供への退行です。