生前の孤立した生活が問題

いま孤独死という言い方をもっと厳密な表現にしようということで、
「ひとり死」とか「孤立死」といった言葉が出てきている。
死ぬ瞬間にひとりで死ぬ「孤独死」と、生活そのものが孤立している
人の死を分けて考えようということである。
どんなに生前、人間的つながりの多い人でも1人旅で行き倒れたりすれば、
孤独死することになるので、孤独死は避けられるものではない。
避けなければならないのは、孤立した生活が続いて一人で死ぬ
「ひとり死」であり、「孤立死」なのだ。
遺品整理業を営む会社の社長さんが「孤立死」についての本を
書いている。そこには、「自分は周囲に迷惑をかけまいとする
意識が強い人が孤立死の可能性が高くなる」と書いてある。
周囲に迷惑をかけまいとした結果、周囲とのつながりを欠き、
孤立してしまうのだという。
それを防ぐには、ある程度わがままに生きることだという。
誰かの迷惑になってもいい。
死んで、死臭で迷惑をかけるよりマシということだ。
かけるなら死後の迷惑より、生前の迷惑だなあと思う。
地縁、血縁、職縁、趣味縁・・・いろんな縁をつくっとくことに
こしたことはないですね。