何をもって成功とするか

『「平穏死」のすすめ』(石飛幸三著、講談社)という本を読んで
こんな意味の記述があった。


医療においては、死は敗北であり、病を退治し、
延命することを常に目標にしてきた


これはどこかで聞いた話だと思った。
ある建築家の講演を聞いたときのことだ。


建設業界は新築住宅をつくって売るという成功モデルから
未だに脱することができていない


というのである。
医療においては患者を延命させること、つまり平均寿命を延ばす
ことが「成功の定義」となる。
一方、建設業界においてはもっとはっきりしていて、
「新しいものをつくって売る」ことが「成功の定義」となる。


これまでこうやって経済成長してきたのだなあと私は思った。
つまり、寿命を延ばすとか、大きいもの、新しいもの、
効率的で便利なものをつくり、それを売ることが
これまでの社会においての「成功の定義」だった。
その延長線上に幸せがあると信じてきたわけだった。
ところが、それが達成されてみると、どうもそうじゃないらしい
ことに気づいてしまった。
長寿だからって幸せとは限らない、大きな家に住んで不仲な家族もいる。
私たちが高度成長期に信じてきた「成功の定義」では、
必ずしも幸福が得られないことがわかってきた。
そこで、長寿ばかりじゃなくて安らかに死ねるようにしようよ、とか
大きくて豪華な家じゃなく、家族が仲良くなれる家をつくろうよ、とか、
そういった幸福と直結するような質の向上を求めようとしているのが
今という時代なのではないか。
そろそろ「成功の定義」を考え直す必要がある。
GDPの成長は、増大する社会保障費を賄うために必要なだけであって、
幸福を得るための必要十分条件ではない。
幸福というあいまいなものに向かって、
成長とか進化が実感できる世の中になればいい。
1人ひとりが仕事や社会生活の中でよかれと思ってやっていることが、
本当に人の幸福につながるのかどうかを考えるべきなのだ。
「何をもって成功とするか」を決めることが、
今の日本に一番必要なことかもしれない。